『美しい女庭師』
2009年 02月 24日
ロンドン。
霧、無風。
ラファエロは好きな画家の一人だ。
好きになったきっかけは、小椅子の聖母と呼ばれる一枚の絵だ。
この素晴らしく美しい聖母子の絵…何でもラファエロの恋人をモデルにしたとか何とか、そう言ううんちくもあるそうだが、そんなことは関係なく、ともかく、素晴らしく美しい絵だった。
ぞっこん参った。
惚れたのだ。
絵というのは、これほど素晴らしいものかと思った。
その私にとって、ラファエロの新作というのは大変待ち遠しいもの、なのである。
それを聞いた斡旋人は失礼なことにテーブルに頬杖を着いたまま、ほう、それは丁度良かった、と、気のない返事をして、契約書をこっちに投げよこす。
どうしてまた、と、斡旋人が頬杖を解いた。
この契約書のダ・ヴィンチ、と言う名前が気に入らない。
俺、あのおっさんに関わるの嫌なんだよ、と私は即答した。
画家としてすごいのは認めるが、しかしどうも私の美的センスからはちょっと外れている。
確かに美しいのだが、何となく良く計算された図形を見せられているような気になるのだ。
お前の口から美的センスなんぞという言葉が出るとは思わなかった、とハーフェズが口をへの字にする。
私は憤慨し、だがそんなことは良いと、叫び声を上げた。
一番の問題はあのはげちゃびんの態度である。
あの飽き性のひねくれ親父とは今までに何度も何度も依頼を受けたり報告をしたり調査に行ったりしてよく知っているがその度ごとにこちらの神経を逆撫でするようないけ好かない高圧的かつ挑発的な態度を取るのだが世の中では万能の天才等と呼ばれちやほやされているのにいい気になっているとしか思えないだからそのうちその鼻をへし折ってやろうと虎視眈々と狙っているところなのだ。
私は一息に言い切って、テーブルの水を乱暴にひっつかむと、ぐびりと一口口にして、周りを見回した。
ロクサーヌは目を丸くしていたが、ちらりと財布を見てから、あの、別にレオナルド先生に会う、と言う依頼ではないですから、と首を振り振り言う。
ハーフェズも、俺もラファエロの絵には興味があるな、と頷いた。
私は2対1か、と呟いて、ガリガリと乱暴に契約書にサインをした。
最初からグズグズ言わずにサインすればいいのに、と斡旋人が溜息を吐く。
気が進まないがなあ、と私は答えた。
そしてピサ。
私はそれを聞いた瞬間、工房の職人の首を絞めかけ、ハーフェズに羽交い締めにされた。
職人が、うわ、なんだこいつ、と大きく身を引き、ロクサーヌが汗を拭きながら、すいません、発作が起きるんです、とわかったようなわからないような説明を始める。
この生温い職人はなんだ酔っぱらいか、と、失礼な納得の仕方をした。
私はさらに憤慨して、こんな事なら最初からピサじゃなくてマルセイユに行くように指示を出せ、と叫び、工房職人は苦情だったらギルドに言ってくれよ、と苦る。
ロクサーヌがやっぱりこうなった、と渋い顔で言った。
………不本意ではあるが、結局マルセイユのダヴィンチを尋ねることとなった。
我々が尋ねていくと、ダヴィンチは丁度絵に手を入れているところだったが、私の顔を見るなり鼻を鳴らし、今は仕事はないぞ、と言い、相変わらず閑そうで結構だ、と悪態を付いた。
私は一瞬、このはげちゃびんの首を絞めてやろうかと考えたが、絞め落としてしまうと話も聞けなくなると考えてグッとこらえ、いえ、先生実は聞きたいことが、と切り出し、依頼の内容について説明した。
ダヴィンチはどことなく面白そうな顔で私の話を聞いていたが、やがて話が終わると、また、ふふんと鼻を鳴らし、お前さんはあれだね、一流の冒険者と言う触れ込みだが、絵を見る目はそうでもないようだね、と、いやあな笑みを浮かべて言い、
と、続けた。
そして、言い終わると、私は忙しいから、とっととジェノヴァでもどこへでもいくがいい、と言って、しっしっ、と手を振る。
…なるほど、件の絵はジェノヴァの教会にあると言うことか。
私はへえへえ、と答えつつ、この用済みになったはげちゃびんをどうやって片付けてやろうかと思案を巡らせ、ふと、気が付いた。
口元に思わず笑みが浮かぶ。
まだ何かあるのか、と眉を寄せるダヴィンチに、先生、知ったことかとか言いながら妙にその絵について詳しくないか…そういった。
思った通り、ダヴィンチは一瞬口ごもり、次の瞬間茹で蛸のように赤くなって、若造の仕事に興味はない、と、押し殺したように言った。
私がさらに、やっぱり、意識はしてるんだな、と言うと、私を誰だと思ってるんだ、とダヴィンチはさらに赤くなる。
私は嬉しくなった。
まあ、誰しも自分の仕事を参考にされると、良い気分ですからなっ、と大仰に頷いてみせる。
バカモノッ、とダヴィンチが叫び、絵筆が飛んだ。
私は、へへーん、茹で蛸っ、とことさら子供っぽく言い、ダヴィンチの家を飛び出した。
…今日の所は引き分け、と、しておこう。
ロクサーヌがまた一つ溜息を吐いて、お得意さんと喧嘩をしないでください、と、呟いた。
私はそれには答えず、芸術家なんて連中は誰しも自意識過剰なもんだな、と、言って笑ってみせる。
ハーフェズが、冒険者もな、と笑った。
そして、ジェノヴァ………問題の絵。
幼いキリストとヨハネ、そして、聖母の絵。
遠近法、そして、三角形を描く構図など、確かにダヴィンチの影響の強い作品だ。
だが、似たような画題のダヴィンチの「聖アンナと聖母子」に比べて、明るく、色彩も鮮やかで、豊かだ。
やはり私は絵に関して言うと、ダヴィンチよりラファエロ派である。
ロクサーヌが、綺麗ですね、と息をついた。
ハーフェズが、ちょっとお前の趣味にしては、良すぎるな、と頭を掻く。
鼻白んで、なにがだ、と尋ねると、きっちり絵画だよなあ、と分かり切ったことを言われた。
俺だって絵は好きだとも、と答えて、目を聖母子へと戻す。
ダヴィンチは「自分の絵画は数学者にしか真に理解出来ない」と言ったらしい。
だが、私に言わせると、絵画は数学ではない。
ただ、ぼんやりと眺めても美しく、良い気分にさせてくれる…俗っぽいいいかただが、それも絵画の一つのあり方だと思う。
ラファエロの絵は、数学の分からないものが見ても、ただ美しく、幸せだ。
なるほど、ダヴィンチは天才だが、「絵描き」としてはラファエロのほうが優れているのではないかと、私は思う。
霧、無風。
ラファエロは好きな画家の一人だ。
好きになったきっかけは、小椅子の聖母と呼ばれる一枚の絵だ。
この素晴らしく美しい聖母子の絵…何でもラファエロの恋人をモデルにしたとか何とか、そう言ううんちくもあるそうだが、そんなことは関係なく、ともかく、素晴らしく美しい絵だった。
ぞっこん参った。
惚れたのだ。
絵というのは、これほど素晴らしいものかと思った。
その私にとって、ラファエロの新作というのは大変待ち遠しいもの、なのである。
それを聞いた斡旋人は失礼なことにテーブルに頬杖を着いたまま、ほう、それは丁度良かった、と、気のない返事をして、契約書をこっちに投げよこす。
どうしてまた、と、斡旋人が頬杖を解いた。
この契約書のダ・ヴィンチ、と言う名前が気に入らない。
俺、あのおっさんに関わるの嫌なんだよ、と私は即答した。
画家としてすごいのは認めるが、しかしどうも私の美的センスからはちょっと外れている。
確かに美しいのだが、何となく良く計算された図形を見せられているような気になるのだ。
お前の口から美的センスなんぞという言葉が出るとは思わなかった、とハーフェズが口をへの字にする。
私は憤慨し、だがそんなことは良いと、叫び声を上げた。
一番の問題はあのはげちゃびんの態度である。
あの飽き性のひねくれ親父とは今までに何度も何度も依頼を受けたり報告をしたり調査に行ったりしてよく知っているがその度ごとにこちらの神経を逆撫でするようないけ好かない高圧的かつ挑発的な態度を取るのだが世の中では万能の天才等と呼ばれちやほやされているのにいい気になっているとしか思えないだからそのうちその鼻をへし折ってやろうと虎視眈々と狙っているところなのだ。
私は一息に言い切って、テーブルの水を乱暴にひっつかむと、ぐびりと一口口にして、周りを見回した。
ロクサーヌは目を丸くしていたが、ちらりと財布を見てから、あの、別にレオナルド先生に会う、と言う依頼ではないですから、と首を振り振り言う。
ハーフェズも、俺もラファエロの絵には興味があるな、と頷いた。
私は2対1か、と呟いて、ガリガリと乱暴に契約書にサインをした。
最初からグズグズ言わずにサインすればいいのに、と斡旋人が溜息を吐く。
気が進まないがなあ、と私は答えた。
そしてピサ。
私はそれを聞いた瞬間、工房の職人の首を絞めかけ、ハーフェズに羽交い締めにされた。
職人が、うわ、なんだこいつ、と大きく身を引き、ロクサーヌが汗を拭きながら、すいません、発作が起きるんです、とわかったようなわからないような説明を始める。
この生温い職人はなんだ酔っぱらいか、と、失礼な納得の仕方をした。
私はさらに憤慨して、こんな事なら最初からピサじゃなくてマルセイユに行くように指示を出せ、と叫び、工房職人は苦情だったらギルドに言ってくれよ、と苦る。
ロクサーヌがやっぱりこうなった、と渋い顔で言った。
………不本意ではあるが、結局マルセイユのダヴィンチを尋ねることとなった。
我々が尋ねていくと、ダヴィンチは丁度絵に手を入れているところだったが、私の顔を見るなり鼻を鳴らし、今は仕事はないぞ、と言い、相変わらず閑そうで結構だ、と悪態を付いた。
私は一瞬、このはげちゃびんの首を絞めてやろうかと考えたが、絞め落としてしまうと話も聞けなくなると考えてグッとこらえ、いえ、先生実は聞きたいことが、と切り出し、依頼の内容について説明した。
ダヴィンチはどことなく面白そうな顔で私の話を聞いていたが、やがて話が終わると、また、ふふんと鼻を鳴らし、お前さんはあれだね、一流の冒険者と言う触れ込みだが、絵を見る目はそうでもないようだね、と、いやあな笑みを浮かべて言い、
と、続けた。
そして、言い終わると、私は忙しいから、とっととジェノヴァでもどこへでもいくがいい、と言って、しっしっ、と手を振る。
…なるほど、件の絵はジェノヴァの教会にあると言うことか。
私はへえへえ、と答えつつ、この用済みになったはげちゃびんをどうやって片付けてやろうかと思案を巡らせ、ふと、気が付いた。
口元に思わず笑みが浮かぶ。
まだ何かあるのか、と眉を寄せるダヴィンチに、先生、知ったことかとか言いながら妙にその絵について詳しくないか…そういった。
思った通り、ダヴィンチは一瞬口ごもり、次の瞬間茹で蛸のように赤くなって、若造の仕事に興味はない、と、押し殺したように言った。
私がさらに、やっぱり、意識はしてるんだな、と言うと、私を誰だと思ってるんだ、とダヴィンチはさらに赤くなる。
私は嬉しくなった。
まあ、誰しも自分の仕事を参考にされると、良い気分ですからなっ、と大仰に頷いてみせる。
バカモノッ、とダヴィンチが叫び、絵筆が飛んだ。
私は、へへーん、茹で蛸っ、とことさら子供っぽく言い、ダヴィンチの家を飛び出した。
…今日の所は引き分け、と、しておこう。
ロクサーヌがまた一つ溜息を吐いて、お得意さんと喧嘩をしないでください、と、呟いた。
私はそれには答えず、芸術家なんて連中は誰しも自意識過剰なもんだな、と、言って笑ってみせる。
ハーフェズが、冒険者もな、と笑った。
そして、ジェノヴァ………問題の絵。
幼いキリストとヨハネ、そして、聖母の絵。
遠近法、そして、三角形を描く構図など、確かにダヴィンチの影響の強い作品だ。
だが、似たような画題のダヴィンチの「聖アンナと聖母子」に比べて、明るく、色彩も鮮やかで、豊かだ。
やはり私は絵に関して言うと、ダヴィンチよりラファエロ派である。
ロクサーヌが、綺麗ですね、と息をついた。
ハーフェズが、ちょっとお前の趣味にしては、良すぎるな、と頭を掻く。
鼻白んで、なにがだ、と尋ねると、きっちり絵画だよなあ、と分かり切ったことを言われた。
俺だって絵は好きだとも、と答えて、目を聖母子へと戻す。
ダヴィンチは「自分の絵画は数学者にしか真に理解出来ない」と言ったらしい。
だが、私に言わせると、絵画は数学ではない。
ただ、ぼんやりと眺めても美しく、良い気分にさせてくれる…俗っぽいいいかただが、それも絵画の一つのあり方だと思う。
ラファエロの絵は、数学の分からないものが見ても、ただ美しく、幸せだ。
なるほど、ダヴィンチは天才だが、「絵描き」としてはラファエロのほうが優れているのではないかと、私は思う。
by Nijyuurou
| 2009-02-24 23:40