『下手な芝居』
2007年 09月 20日
9月11日、マニラ。
ようやく発見した手記…。
その手記に掻かれていたのは、フェルディナントさん…マゼラン提督の、死の様子、だった。
…だが、マゼラン提督の死で手記は終わっていない。
大体、アントニオ・ピガフェッタはこの戦いを生き延び、記録を残し……本国のイタリアに帰国しているという。
その彼が何故、貴重な記録をここに置いていったのだろうか。
私はさらに手記を読み上げていく。
そして、マゼラン提督が命を落としたくだりの後に書かれていた記述を読んだ時、私は目を疑った。
マゼラン提督が命を落とした戦いで、提督の足を射抜いた矢は、自陣より射られたように見えたと……そして
そして 命中した瞬間に エルカノの口の端が わずかに釣り上がった気がする これは笑み… か…
手記には、こう記されていたのである。
…無論、この時点でのピガフェッタの考えは推測に過ぎない。
だが、この後のエルカノの動きを考えると、信憑性は高い話に思える。
ともかく、そう考えたピガフェッタは、マゼラン提督と懇意で、提督の記録も残していた自分にエルカノの黒い手が伸びることを恐れ、像に手記を隠し、マゼラン提督が……大切にしていた、ロザリオをその鍵として、ブルネイのジャングルに隠したようだ。
無論、ただ隠すだけではない。
帰国後、その事をマゼラン提督の親族に告げよう、と固い意志を持ってのことだ。
そして生まれ来る…御令息であれば バルトロメ様 御息女であれば
そこまで読んで、私は慌てて読むのを止めた。
あまりに唐突に止めたので、周りで聞いていたものが皆こちらを振り返り、続きを読むように促す。
だが、私は躊躇した。
これは、この場で読んでもいいものかどうか……。
だが…ドゥルシネアが、続きはどうしたの、と言いつつ私の手から手記をもぎ取ろうとしたので、私は一つため息をついて、
エレナ様 であったか…いずれにしても 提督の縁者の方の手に 手記が渡ることを 望んでやまない
最後の1行を読み上げた。
エレナが震えだす。
…私は、最後の1行を読み上げてしまったことを少し後悔した。
いずれはわかる事ながら、だ。
その事実を後押しするようにレガスピが、十中八九間違いなかろう、と頷いた。
おそらく、すべてをエルカノの目から隠すため、ピガフェッタがディエゴ老人に接触して、エレナはディエゴ老人の幼女である、と事実を隠蔽するよう進言したのではないか、と言うのだ。
無論、エルカノの目からエレナを守るために。
エルカノは切れる男だという。
エルカノがマゼラン提督を殺したのであれば、この香料諸島からであればマゼラン提督無しでも十分帰航出来ると判断したからに他ならない。
となれば、自らの取り分を最大にするためには、邪魔なマゼラン提督には消えてもらい、自分が提督としてセビリアに戻るのがもっとも良い。
大胆かつ、自信に満ちた判断だ。
だが、その判断が出来るエルカノはただ者ではない。
そのエルカノがエレナの存在に気付けばそのままにしておく訳がないと、レガスピは言う。
それは非情な現実だ。
エレナが肩を振るわせ、ここまでやって来たのは、こんな事を知るためだったなんて、ひどい、と、呟く。
ドゥルシネアがその震える肩を抱きしめた。
ロクサーヌが思わず、レガスピ様やめてください、とエレナの方を見て非難の声を上げる。
だが、とレガスピはロクサーヌを制した…。
この手記があれば、マゼラン提督のあの後悔での功績が証明され、さらにエレナがマゼラン提督の子であることを申し出れば、あの後悔での検疫を、エレナが相続出来るかもしれない…。
それは、まさに、目の眩むような富なのだ。
しかし…
エレナ>…いらない!そんなものなければ、お父さんのこと知らずに済んだのに!おじいちゃんだって、ずっと私の側にいてくれたかもしれないのに!
エレナは泣いていた。
難しい顔をした大人達に背を向けて、駆け出していく。
レガスピは慌ててエレナを引き留めようとしたが……子供と女性の扱いとしては失敗だな、と私は思う。
まだ、いくつかレガスピに聞きたいこともあったのだが…しかたがない。
私は手記を懐にねじ込んで、エレナの後を追うため立ち上がった。
と…。
レガスピ>いや、エレナ殿がおらぬほうが好都合かもしれぬな…
レガスピの方も意味ありげにこちらを見る。
…私にとっても、その方が都合は良い。
私は頷き返すと、ロクサーヌ達に彼女の後を追うよう命じ、もう一言、他言無用に、と付け加えた。
二人は黙って頷くと、彼女の後を追った。
そして、女達が去り、男二人だけが残った。
レガスピは居住まいを正し、
レガスピ>マルコ殿、バルボサ殿より手記の探索を依頼されたのは、いずこにおいてか?
そう尋ねてくる。
セビリアです、と答えると、レガスピは顔色を変えた。
エルカノがこの手記の存在を知れば、あらゆる手を用いて抹消を謀るはず…そうなればディエゴ老人の身も危険だ、と言う。
そして、自分は王室に顔が効くため、急使を出して兵を動かし、ディエゴ老人の捜索と保護を依頼しようと思う、と提案した。
私はなるほどな、と頷き返し、何の見返りのために、と尋ねた。
見返りなどいらぬ…とレガスピが応える。
以前言ったように、自分の活動はマゼランの活動に助けられ、また理想でもあると…そして
レガスピ>その縁者が窮地に陥るのを見て見ぬ振りなど許されようか!例え許されたとしても、マゼラン殿の英霊に背いては、私の活動は失敗に終わるであろう
レガスピは熱っぽくそう語った。
だが……………。
だが、私は思わず笑ってしまった。
レガスピが何がおかしいのか、とさらに顔を赤くして詰め寄ってくる。
信じられませんね、と私は答えた。
とんだ猿芝居だと思う。
…この男、街役人に紹介される形で突然私達の前に現れたようだが……。
実はそうではないのではないか…?
私はレガスピにその旨を告げる。
実は一つ引っかかっていた。
ディエゴ老人は何故ブルネイではなく、マニラに私達を向かわせたのか。
これだ。
ディエゴ老人は問題の手記がブルネイにあることを知っていたはずである。
にもかかわらず、目的地にマニラを示したことについては、いざ私が失敗した時に、手記の在処を明らかにしない等々、いくつでも理由は考えつく。
だが、そんな遠回しなことをするならば、私達が確実に手記の元にたどり着けるような手を打っておかねばならない。
ようするに、マニラで私達が手記のことを探し回れば、ブルネイのジャングルに隠された像のことがわかるような仕掛けがいるのだ。
ならば、マニラに、隠された手記の場所を示すメッセンジャーを用意しておくのが一番確実…。
マニラの顔役であるコンキスタドーレスならば、レガスピも手を出せない…それ以前に、疑いも掛かるまい…。
メッセンジャーには、格好の隠れ蓑だと思いませんか、と私は彼に尋ねた。
レガスピは沈黙したままだ。
私はさらに、大体何故、会ったこともないだろうマゼラン提督が首からロザリオをかけていたのを知っているのか、と続ける。
以前、マゼラン提督にお会いした時に…とレガスピは答えた。
語るに落ちたとはこのことだ。
私は思わずニイッと笑うと、あのロザリオは出発前日に私がマゼラン提督にお渡ししたものなんですよ…と言った。
レガスピは一瞬、しまった、という顔をしたが、すぐにニイッと笑い返してきた。
猿芝居と言ったが、そうではなかった。
この狸め。
そして、いかにも、とレガスピは答えた。
レガスピは、いかにも、ディエゴとは古い馴染みなのだ、と頭を掻き、申し訳なさそうに、事情を聞いてディエゴの娘婿と孫娘を助けてやりたく思い、下手な芝居を打ったのだが、あっさり見破られるとは思わなかった、と言う。
何も知らずに利用されるのはまっぴらですよ、と抗議すると、すまぬ、とあっさりと頭を下げられた。
私は呆れて、物好きな人だ、と言った。
何の地位も力もない老人に味方するより、エルカノに味方をした方が得になる。
植民地の安定には金がかかるのだ。
レガスピはこの植民地の経営にかなりの私財を投じているはずだ。
その一方でこの男はこの植民地から得られる利益の恩恵を受けてはいない。
植民地は良いかもしれないが、このままでは彼自身がジリ貧に陥るのは目に見えている。
一方、エルカノは香料諸島から得られる利益の恩恵を受け、自身も航路の運営には積極的だと聞く。
そのエルカノに手記の、エレナの話を持ちかければ、いくらでも金を出すのではないだろうか。
彼はそれを聞いて、もっともだ、と頷き、だが…やはりそれはできぬ、と言う。
困窮しても、誇りを売るつもりはない。
そう言って胸を張った。
確かに自分は困窮しつつあるし、エルカノと手を結べば、経済的には援助が受けられるかもしれない。
だが、自らの困窮のために古い友人とその娘婿、孫を売り渡したのでは、これまで国のためと信じてに私財を投じ、時には人の命を、自由を奪ってまで尽くしてきた、その誇りが死ぬのだという。
彼は、最近、心臓が悪いのだ、と呟いた。
そして、私が死んだ時、財布の中にはわずか数ペソの銅貨しか入っていないだろうが、それは私の誇りなのだ、と。
私は罪深い男で、死ねば地獄に行くだろうが、地獄まで誇りだけは持っていきたい…彼は、凛然とそう言ってのけたのである。
が、そこまで言って彼は、自分の言ったことに照れたように、これでは本当に下手な芝居ですな、と笑った。
だが、私は男らしい、いい笑顔だな、と思った。
おそらく、この老人は、いままでもこの笑顔で多くの船乗りや住民達を束ねてきたのだろう。
私はそれで、レガスピと、そしてディエゴ老人に利用されることに決めた。
私は、エレナを探しに行きます、と彼に言って腰を上げた。
彼に聞くべき事はもう何もない…後は行動あるのみだ。
レガスピ>エレナ。…幼き身に、このような境遇…なんと不憫な…マルコ殿、今はどうか、エレナ殿の側についていてくだされ
レガスピはもそう言って立ち上がる。
その声には、心からの哀惜の念があった。
私にも昔、9人の子供がいたのだ、と彼は遠い目をして呟いた。
私は、なるほどな、と思った。
屋敷を出る時、私はレガスピに申し訳なかった、と頭を下げた。
彼は訝しそうに、何のことかな、と聞き返す。
私が、貴方をピサロやコルテスと同じような男だと思っていた、と答えると、彼は、本質は変わらぬ…私も征服者なのだよ、と笑った。
私はそれでもなお、この男の名は後世に残るだろう、と思った。
握手をして、私達は別れた。
エレナを探すのは簡単だった。
道行く住民に泣きながら走っていく女の子と、それを追って走る女二名がどっちに行ったか聞くだけだ。
彼等は桟橋の方に行ったという。
桟橋まで行ってみると、桟橋にたたずむエレナに寄り添うようにロクサーヌとドゥルシネアが立っていて、私の姿を見つけると、軽く手を挙げる。
エレナはもう大分落ち着いていたが、私の姿をみると、
エレナ>…私、どうしたらいいの?ホントに一人ぼっちだよ…
うつむき加減で、ひどく不安そうにそう言った。
私が口を開こうとすると、ドゥルシネアがそんなことない、私が一緒だよ、とエレナを抱きしめる。
ロクサーヌが彼女の顔をのぞき込んで、私も一緒です、と優しく言った。
出遅れた形の私は、苦笑して、俺もだ、と彼女の頭を撫でる。
エレナはまた涙を一粒ぽろりと落とし、何度も頷いた。
そして、彼女は思い詰めたように顔を上げると、
エレナ>マルコさん、一つ聞かせて……富とか名誉って、そんなに大事なの?
真剣なまなざしをこちらに向けてきた。
真っ直ぐな目だった。
そこまで大げさなものではないよ、と私が応えると、
エレナはそう言ってまた、うつむいた。
私はちょっと考えて、それでも金も欲しいし、名誉も欲しいけれどね、と付け加える。
エレナが驚いた顔をこちらに向けた。
別に金は悪いものじゃないし、名誉も悪いものじゃない。
だが、金と名誉のため命を落としたり、嫌な奴になる者はごまんといる。
私はそれは御免だ、と言うだけなのだ。
命を落としたんじゃエレナの顔は見れないし、嫌な奴になったのでは、エレナに嫌われる。
それでは楽しくないではないか。
そう言って舌を出すと、エレナは泣き笑いのような顔でこっちを見た
私は調子に乗って、イングランドで今評判の戯作者、チョーサーは「楽しさのないところには何の得もない」と言っていると、鼻高々に教養をひけらかしてみせる。
ロクサーヌが無表情に、それはシェークスピアの間違いではないですか、と訂正した。
私の鼻はまたへし折れた。
私はひどく情けない顔をしたのだろう。
エレナが私の顔を見て、涙を拭いて、くすりと笑った。
ロクサーヌとドゥルシネアが釣られて笑顔を見せる。
私は心の中で、下手な芝居かね、と呟いた。
だが、これでいい。
ウィリアム・シェイクスピア曰く、「楽しさのないところには何の得もない」だ。
今日のところはまず、これで良しとしよう。
<ルール53『読書をすること。』>
ようやく発見した手記…。
その手記に掻かれていたのは、フェルディナントさん…マゼラン提督の、死の様子、だった。
…だが、マゼラン提督の死で手記は終わっていない。
大体、アントニオ・ピガフェッタはこの戦いを生き延び、記録を残し……本国のイタリアに帰国しているという。
その彼が何故、貴重な記録をここに置いていったのだろうか。
私はさらに手記を読み上げていく。
そして、マゼラン提督が命を落としたくだりの後に書かれていた記述を読んだ時、私は目を疑った。
マゼラン提督が命を落とした戦いで、提督の足を射抜いた矢は、自陣より射られたように見えたと……そして
そして 命中した瞬間に エルカノの口の端が わずかに釣り上がった気がする これは笑み… か…
手記には、こう記されていたのである。
…無論、この時点でのピガフェッタの考えは推測に過ぎない。
だが、この後のエルカノの動きを考えると、信憑性は高い話に思える。
ともかく、そう考えたピガフェッタは、マゼラン提督と懇意で、提督の記録も残していた自分にエルカノの黒い手が伸びることを恐れ、像に手記を隠し、マゼラン提督が……大切にしていた、ロザリオをその鍵として、ブルネイのジャングルに隠したようだ。
無論、ただ隠すだけではない。
帰国後、その事をマゼラン提督の親族に告げよう、と固い意志を持ってのことだ。
そして生まれ来る…御令息であれば バルトロメ様 御息女であれば
そこまで読んで、私は慌てて読むのを止めた。
あまりに唐突に止めたので、周りで聞いていたものが皆こちらを振り返り、続きを読むように促す。
だが、私は躊躇した。
これは、この場で読んでもいいものかどうか……。
だが…ドゥルシネアが、続きはどうしたの、と言いつつ私の手から手記をもぎ取ろうとしたので、私は一つため息をついて、
エレナ様 であったか…いずれにしても 提督の縁者の方の手に 手記が渡ることを 望んでやまない
最後の1行を読み上げた。
エレナが震えだす。
…私は、最後の1行を読み上げてしまったことを少し後悔した。
いずれはわかる事ながら、だ。
その事実を後押しするようにレガスピが、十中八九間違いなかろう、と頷いた。
おそらく、すべてをエルカノの目から隠すため、ピガフェッタがディエゴ老人に接触して、エレナはディエゴ老人の幼女である、と事実を隠蔽するよう進言したのではないか、と言うのだ。
無論、エルカノの目からエレナを守るために。
エルカノは切れる男だという。
エルカノがマゼラン提督を殺したのであれば、この香料諸島からであればマゼラン提督無しでも十分帰航出来ると判断したからに他ならない。
となれば、自らの取り分を最大にするためには、邪魔なマゼラン提督には消えてもらい、自分が提督としてセビリアに戻るのがもっとも良い。
大胆かつ、自信に満ちた判断だ。
だが、その判断が出来るエルカノはただ者ではない。
そのエルカノがエレナの存在に気付けばそのままにしておく訳がないと、レガスピは言う。
それは非情な現実だ。
エレナが肩を振るわせ、ここまでやって来たのは、こんな事を知るためだったなんて、ひどい、と、呟く。
ドゥルシネアがその震える肩を抱きしめた。
ロクサーヌが思わず、レガスピ様やめてください、とエレナの方を見て非難の声を上げる。
だが、とレガスピはロクサーヌを制した…。
この手記があれば、マゼラン提督のあの後悔での功績が証明され、さらにエレナがマゼラン提督の子であることを申し出れば、あの後悔での検疫を、エレナが相続出来るかもしれない…。
それは、まさに、目の眩むような富なのだ。
しかし…
エレナ>…いらない!そんなものなければ、お父さんのこと知らずに済んだのに!おじいちゃんだって、ずっと私の側にいてくれたかもしれないのに!
エレナは泣いていた。
難しい顔をした大人達に背を向けて、駆け出していく。
レガスピは慌ててエレナを引き留めようとしたが……子供と女性の扱いとしては失敗だな、と私は思う。
まだ、いくつかレガスピに聞きたいこともあったのだが…しかたがない。
私は手記を懐にねじ込んで、エレナの後を追うため立ち上がった。
と…。
レガスピ>いや、エレナ殿がおらぬほうが好都合かもしれぬな…
レガスピの方も意味ありげにこちらを見る。
…私にとっても、その方が都合は良い。
私は頷き返すと、ロクサーヌ達に彼女の後を追うよう命じ、もう一言、他言無用に、と付け加えた。
二人は黙って頷くと、彼女の後を追った。
そして、女達が去り、男二人だけが残った。
レガスピは居住まいを正し、
レガスピ>マルコ殿、バルボサ殿より手記の探索を依頼されたのは、いずこにおいてか?
そう尋ねてくる。
セビリアです、と答えると、レガスピは顔色を変えた。
エルカノがこの手記の存在を知れば、あらゆる手を用いて抹消を謀るはず…そうなればディエゴ老人の身も危険だ、と言う。
そして、自分は王室に顔が効くため、急使を出して兵を動かし、ディエゴ老人の捜索と保護を依頼しようと思う、と提案した。
私はなるほどな、と頷き返し、何の見返りのために、と尋ねた。
見返りなどいらぬ…とレガスピが応える。
以前言ったように、自分の活動はマゼランの活動に助けられ、また理想でもあると…そして
レガスピ>その縁者が窮地に陥るのを見て見ぬ振りなど許されようか!例え許されたとしても、マゼラン殿の英霊に背いては、私の活動は失敗に終わるであろう
レガスピは熱っぽくそう語った。
だが……………。
だが、私は思わず笑ってしまった。
レガスピが何がおかしいのか、とさらに顔を赤くして詰め寄ってくる。
信じられませんね、と私は答えた。
とんだ猿芝居だと思う。
…この男、街役人に紹介される形で突然私達の前に現れたようだが……。
実はそうではないのではないか…?
私はレガスピにその旨を告げる。
実は一つ引っかかっていた。
ディエゴ老人は何故ブルネイではなく、マニラに私達を向かわせたのか。
これだ。
ディエゴ老人は問題の手記がブルネイにあることを知っていたはずである。
にもかかわらず、目的地にマニラを示したことについては、いざ私が失敗した時に、手記の在処を明らかにしない等々、いくつでも理由は考えつく。
だが、そんな遠回しなことをするならば、私達が確実に手記の元にたどり着けるような手を打っておかねばならない。
ようするに、マニラで私達が手記のことを探し回れば、ブルネイのジャングルに隠された像のことがわかるような仕掛けがいるのだ。
ならば、マニラに、隠された手記の場所を示すメッセンジャーを用意しておくのが一番確実…。
マニラの顔役であるコンキスタドーレスならば、レガスピも手を出せない…それ以前に、疑いも掛かるまい…。
メッセンジャーには、格好の隠れ蓑だと思いませんか、と私は彼に尋ねた。
レガスピは沈黙したままだ。
私はさらに、大体何故、会ったこともないだろうマゼラン提督が首からロザリオをかけていたのを知っているのか、と続ける。
以前、マゼラン提督にお会いした時に…とレガスピは答えた。
語るに落ちたとはこのことだ。
私は思わずニイッと笑うと、あのロザリオは出発前日に私がマゼラン提督にお渡ししたものなんですよ…と言った。
レガスピは一瞬、しまった、という顔をしたが、すぐにニイッと笑い返してきた。
猿芝居と言ったが、そうではなかった。
この狸め。
そして、いかにも、とレガスピは答えた。
レガスピは、いかにも、ディエゴとは古い馴染みなのだ、と頭を掻き、申し訳なさそうに、事情を聞いてディエゴの娘婿と孫娘を助けてやりたく思い、下手な芝居を打ったのだが、あっさり見破られるとは思わなかった、と言う。
何も知らずに利用されるのはまっぴらですよ、と抗議すると、すまぬ、とあっさりと頭を下げられた。
私は呆れて、物好きな人だ、と言った。
何の地位も力もない老人に味方するより、エルカノに味方をした方が得になる。
植民地の安定には金がかかるのだ。
レガスピはこの植民地の経営にかなりの私財を投じているはずだ。
その一方でこの男はこの植民地から得られる利益の恩恵を受けてはいない。
植民地は良いかもしれないが、このままでは彼自身がジリ貧に陥るのは目に見えている。
一方、エルカノは香料諸島から得られる利益の恩恵を受け、自身も航路の運営には積極的だと聞く。
そのエルカノに手記の、エレナの話を持ちかければ、いくらでも金を出すのではないだろうか。
彼はそれを聞いて、もっともだ、と頷き、だが…やはりそれはできぬ、と言う。
困窮しても、誇りを売るつもりはない。
そう言って胸を張った。
確かに自分は困窮しつつあるし、エルカノと手を結べば、経済的には援助が受けられるかもしれない。
だが、自らの困窮のために古い友人とその娘婿、孫を売り渡したのでは、これまで国のためと信じてに私財を投じ、時には人の命を、自由を奪ってまで尽くしてきた、その誇りが死ぬのだという。
彼は、最近、心臓が悪いのだ、と呟いた。
そして、私が死んだ時、財布の中にはわずか数ペソの銅貨しか入っていないだろうが、それは私の誇りなのだ、と。
私は罪深い男で、死ねば地獄に行くだろうが、地獄まで誇りだけは持っていきたい…彼は、凛然とそう言ってのけたのである。
が、そこまで言って彼は、自分の言ったことに照れたように、これでは本当に下手な芝居ですな、と笑った。
だが、私は男らしい、いい笑顔だな、と思った。
おそらく、この老人は、いままでもこの笑顔で多くの船乗りや住民達を束ねてきたのだろう。
私はそれで、レガスピと、そしてディエゴ老人に利用されることに決めた。
私は、エレナを探しに行きます、と彼に言って腰を上げた。
彼に聞くべき事はもう何もない…後は行動あるのみだ。
レガスピ>エレナ。…幼き身に、このような境遇…なんと不憫な…マルコ殿、今はどうか、エレナ殿の側についていてくだされ
レガスピはもそう言って立ち上がる。
その声には、心からの哀惜の念があった。
私にも昔、9人の子供がいたのだ、と彼は遠い目をして呟いた。
私は、なるほどな、と思った。
屋敷を出る時、私はレガスピに申し訳なかった、と頭を下げた。
彼は訝しそうに、何のことかな、と聞き返す。
私が、貴方をピサロやコルテスと同じような男だと思っていた、と答えると、彼は、本質は変わらぬ…私も征服者なのだよ、と笑った。
私はそれでもなお、この男の名は後世に残るだろう、と思った。
握手をして、私達は別れた。
エレナを探すのは簡単だった。
道行く住民に泣きながら走っていく女の子と、それを追って走る女二名がどっちに行ったか聞くだけだ。
彼等は桟橋の方に行ったという。
桟橋まで行ってみると、桟橋にたたずむエレナに寄り添うようにロクサーヌとドゥルシネアが立っていて、私の姿を見つけると、軽く手を挙げる。
エレナはもう大分落ち着いていたが、私の姿をみると、
エレナ>…私、どうしたらいいの?ホントに一人ぼっちだよ…
うつむき加減で、ひどく不安そうにそう言った。
私が口を開こうとすると、ドゥルシネアがそんなことない、私が一緒だよ、とエレナを抱きしめる。
ロクサーヌが彼女の顔をのぞき込んで、私も一緒です、と優しく言った。
出遅れた形の私は、苦笑して、俺もだ、と彼女の頭を撫でる。
エレナはまた涙を一粒ぽろりと落とし、何度も頷いた。
そして、彼女は思い詰めたように顔を上げると、
エレナ>マルコさん、一つ聞かせて……富とか名誉って、そんなに大事なの?
真剣なまなざしをこちらに向けてきた。
真っ直ぐな目だった。
そこまで大げさなものではないよ、と私が応えると、
エレナはそう言ってまた、うつむいた。
私はちょっと考えて、それでも金も欲しいし、名誉も欲しいけれどね、と付け加える。
エレナが驚いた顔をこちらに向けた。
別に金は悪いものじゃないし、名誉も悪いものじゃない。
だが、金と名誉のため命を落としたり、嫌な奴になる者はごまんといる。
私はそれは御免だ、と言うだけなのだ。
命を落としたんじゃエレナの顔は見れないし、嫌な奴になったのでは、エレナに嫌われる。
それでは楽しくないではないか。
そう言って舌を出すと、エレナは泣き笑いのような顔でこっちを見た
私は調子に乗って、イングランドで今評判の戯作者、チョーサーは「楽しさのないところには何の得もない」と言っていると、鼻高々に教養をひけらかしてみせる。
ロクサーヌが無表情に、それはシェークスピアの間違いではないですか、と訂正した。
私の鼻はまたへし折れた。
私はひどく情けない顔をしたのだろう。
エレナが私の顔を見て、涙を拭いて、くすりと笑った。
ロクサーヌとドゥルシネアが釣られて笑顔を見せる。
私は心の中で、下手な芝居かね、と呟いた。
だが、これでいい。
ウィリアム・シェイクスピア曰く、「楽しさのないところには何の得もない」だ。
今日のところはまず、これで良しとしよう。
<ルール53『読書をすること。』>
by Nijyuurou
| 2007-09-20 23:57
| 『Circumnavigation』