大航海時代online Boreasサーバー  マルコの航海日誌


by Nijyuurou
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

『その道』

アテネ。

 曇天、北西の風。

  ある国の、建築家の、依頼なんだが、と、斡旋人は言いにくそうに切り出した。
  私は、依頼があるならはっきり言ってくれ、と眉を寄せる。
  斡旋人は、実は軍用道路の建設をするのに、何かいい敷設例はないか、と言う依頼なんだ、と答え、マルコ、お前、ヴェネチア人だったよな、と再び言葉を濁す。

  私は、俺はジェノヴァ人だ、と答えて溜息を吐いた。
  
  ある国、というのは、おそらく、オスマン帝国からの依頼だろう。

  知っての通り、現在ギリシアはオスマントルコの支配下にある。
  そのアテネで、しかも、軍用の調査を、と言う話であれば、アテネのギルドも慎重かつ、丁寧にやらざるを得ない。
  だが、ギリシア人にとってはあまり気の進まない仕事だろう。

  挙げ句の果てに、その依頼をオスマンとあまり仲がいいとは言えないイタリア人の私に頼もうというのだから、ギルドもよほど人手不足、らしい。

  私は、大事なのは依頼人が料金をしっかり払ってくれることだけだ、と笑う。

  斡旋人は少し安心したようで、一応、この街のマルティネンゴさんにも話を聞いてみてくれ、と言い、恩に着るよ、と頭を下げた。

  私は口をへの字に曲げて、ヒラヒラ手を振った。
c0124516_23325597.jpg







  技師マルティネンゴは面白くもなさそうに、
c0124516_23332942.jpg

  そう言った。
  なるほど、確かにそれが最もいい例だ。
  
  いわゆるローマ街道というやつである。
  と、いうよりも、軍用道路として、あれほどまでに機能的に整備された道路は他にない。
  凡ての道はローマに通ず、とはよく言ったものだ。
   
  しかし、である。

  それは、カエサルの言葉じゃないんじゃないか、とマルティネンゴに言った。

  マルティネンゴは言葉に詰まり、顔を真っ赤にする。
  失礼な、と言う怒鳴り声を背に、意地の悪い笑顔を浮かべて私は港へと向かった。
  いざ行かん、神々の住まうところへ、と歌うように口にしてみる。
  ハーフェズが聞きとがめ、何だそれは、と変な顔をした。
  私は、賽は投げられた、さ、と答えた。


  一路、ルビコン川の向こう、イタリアへ。


  私が今回調査の対象としたのはローマから南方に延び、ナポリの北を通るアッピア街道である。
c0124516_23353264.jpg

  これは、最も古いローマ街道で、紀元前312年の執政官、アッピウス・クラウディウスが敷設を始め、「街道の女王」と言う異名も持つ。
 
  ここに限らず、ローマ街道というのは、ローマ属州への軍団の迅速な移動のために設けらたものであるので、移動しやすい真っ直ぐな街道で、また、兵站部隊である荷駄隊のため、石畳が敷かれ、完全に舗装されている。
  こういった街道を網の目のように張り巡らすことによって、ローマは軍団を有機的に連動させることが出来、それによって広大な領土の防衛を可能にしていたのだ。

  勿論、軍事上の必要から造られた街道であったが、一般人も利用することができ、経済的な効果も大きかった。
  街道には駅舎が設けられ、また、一般人の手紙などを届けるサービスもあったらしい。
  半面、一旦攻め込まれてしまうと、敵の侵攻にも用いられるため、危険と言えば危険だ。

  そのため、ローマ滅亡後の中世の道というのは、狭く、未舗装で、曲がりくねった道となった。

  だが、全盛期のローマはさほど国内の防御を考える必要が無かったのも確かだ。
  戦闘区域となったのは辺境の防衛戦のみであったし、ローマ人自体が「寛容(クレメンティア)」を以て他民族を自らの懐に取り込んでいくことを旨とした人々だった。

  しかし、ローマ滅亡後、寛容の精神は滅び去って久しく、ヨーロッパは小規模な小競り合いに終始することになった。
  挙げ句の果てに、ヴェネチア人とジェノヴァ人…イタリアの二つの都市の住民同士ですら、顔を見合わせればそっぽを向くようにも、なっている。


  『黄金のローマ』、というのは、確かにあるように思えるし『中世暗黒時代』というのも、うなずけるような気もする。

  
  オスマン帝国というのも、ローマのように多くの民族が住む国ではある。
  だが、やはりそこに大きな意味での「寛容」はあるまい。
  ヨーロッパであれ、オスマンであれ、自分と違う種類の人間を手放しで受け入れることが難しいのは同じだ。

  それは、これからも変わるまい、と思う。
  

  真っ直ぐに伸びる、石畳の道の広々とした道。


  そこに立って思うのは、かつて、この道を造った人々の、外に向けて開かれた心である。
c0124516_23351617.jpg

[PR]
by Nijyuurou | 2009-01-25 23:34